横浜青年会議所創立70周年記念誌
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■新型コロナウイルスの発生による、事業開催の判断の難しさ。ニューノーマル■共感に対する挑戦いく気持ちを持つことが共感。こ■「希望」■それぞれが考える志ロック協議会を通して連絡がありました。私たちは、横浜を選んで避難して来た方を支援したいと考え、募金活動をすることにしました。現役メンバーだけではなく、横浜青年会議所シニア会の中谷会長をはじめとする役員の皆様と、どのように募金活動をするのかをすぐに協議しました。30代の現役メンバーが持っているネットワークと、40代、50代の先輩方が持っているネットワークは全く違うため、先輩方のネットワークを駆使し、様々な方々に協力をお願いしました。また泉区の小学校から「子ども達の使わなくなった文房具等を集めたので、被災地に届けて欲しい」と依頼があったので、災害支援物資とともに仙台に届けました。仙台のショッピングセンターに立ち寄った際、エスカレーターの脇に子ども達の書いた手紙が貼ってありました。何だろうと思って見てみると、子ども達の復興に向けた想いが書かれており、その一つの手紙が目に留まりました。その手紙には「お父さんもお母さんも居なくなって、お祖母ちゃんも居なくなって、とても辛い思いをしている。こんなに辛い思いをしたから、私は絶対に優しい大人になる」と書いてありました。この手紙を書いた子どもは本当に強い子だなと思い、例会の理事長挨拶でこの話をさせていただきました。思いの込められた決意を感じる手紙の文字を見て、私たちも気持ちをしっかり持とうと感じさせられました。ナウイルスが日本国内でも蔓延し、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発令されました。そのような中で人が集まる横浜開港祭を開催していいのか、宝田先輩と同じように私自身も難しい判断を迫られました。新型コロナウイルスの感染拡大防止を考えれば中止にする方がいいのではないか、でも開催すれば子ども達を少しでも元気づけることができる(三村)2020年2月ころから新型コロのではないか。開催するにしても中止するにしても、様々な意見が出るだろうと思いました。そうであれば挑戦することを選ぼうと考えて、横浜開港祭を実地で開催するという選択をしました。横浜開港祭は実地で開催するという選択をしましたが、横浜青年会議所の諸会議や例会については、WEBを取り入れました。実地開催ならではの緊張感も大事だと思いましたが、青年会議所活動を継続するため、オンラインでの開催を決断しました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大が終息するまで、ます。(三村)入会してから日の浅いメンバーの中には、事業を担当する経験を積めないまま役職が上がる人もいます。2022年もどれだけ事業を開催できるかわからない状況ですから、横浜青年会議所を守り抜くという意味では、事業を担当する経験を積めていないメンバーを育てなくてはいけないと思っています。さきほど、新たな試みとしてWEB例会のお話しをさせていただきました。今年は例会を横浜青年会議所のYOUTUBEチャンネルで配信することに挑戦しました。しかし新たな試みに失敗はつきもので、なかなかうまくいかないこともありました。しかし挑戦っておりますので、横浜青年会議所のメンバ今年は耐え抜き繋ぐ年だと思ってい■withコロナ な新時代でどう変わる?   し続けるから失敗がある、失敗を経験しないと成功も知らないと思ーには、今年も宝田先輩の運営テーマのお言葉をお借りして、たくさん挑戦するように指導しております。(三村)2010年代の運営指針「共感」は、宝田先輩が挑戦する事業や志にどのように影響したのでしょうか。(宝田)当時はSNSが出てきたころで、TwitterやFacebookもでてきたころだったかな。その影響もあって、例えばAKBのコンサートとか劇場にアイドル好きが集まる。アニメのイベントにアニメ好きが集まる。マスに向けたイベントの集客力と、コアに向けた集客力がほぼ同じくらいになっていった時代だと思います。マスの方があまり注目されなくて、テーマがしっかりあるイベントに興味のある人が喰いついていくように変わっていく。自分の気持ちをぶつけられるところがあるっていうことを共有していかなきゃいけない、それが共感。共有しての10年間の横浜青年会議所の事業を全部見ていたわけではないけど、単発で開催したものにも人が乗ってきてくれる、気持ちが乗ってきてくれる。大きなニュースにはなっていなくてもコアなところでファンを多く掴んでいると思います。そういう意味では、この10年間、「共感」という運動指針で皆さんが挑戦してきてくれたっていうのは、非常に頼もしい、素晴らしい10年だったんじゃないかなと思います。(三村)本年度は運営テーマを「希望」と定めさせていただきました。「希望」とは、「実現可能な目標を持ち、望む未来に向かって変化させるため、諦めずに行動すること」と定義させていただきましたが、先輩達が69年間引き継いできた横浜青年会議所は、言い方が合っているか分からないですが、常に困難な時代だったと思うんです。困難な状況だからこそ、横浜青年会議所の先輩諸兄姉は、希望をもって、このまちの未来のために活動を続けてこられたのだと思います。これからも横浜青年会議所はメンバーにとって希望を持てる組織でなければならないと思います。希望を持てない組織では、得る物がないといって辞めてしまうメンバーもでてきてしまうと思います。(三村)宝田先輩が横浜開港祭広報渉外委員会の委員長をなさっていたときの熱い涙を流している写真を拝見致しました。宝田先輩は横浜青年会議所の役員の役割をどのように考えていますか。(宝田)27歳で横浜青年会議所に入会して、横浜開港祭広報渉外委員会の委員長になって初めてケーブルテレビの生放送に出て、70th Anniversary JCI YOKOHAMA46[ インタビュー ]

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